(1) 地域・学校の槻況
本校は、明治21年(1888年)5月22日今帰仁尋常小学校より分離独立し、校舎落成まで勢理客村事務所を借家し、児童数40人で輝かしい第一歩を踏み出した。
その後、同年12月25日に天底村後原に建築落成し借家を廃する。更に明治29年4月1日現在の校地に133坪5合の校舎を新築、移転し現在の隆盛を見るに至った。学校は、清澄閑静にして東西南北見渡せる天底森に位置し、東に天然の良港と言われる運天港、西に村民を温かく育む乙羽山の眺望、北に伊平屋、伊是名島の浮かぶ東支那海が四海へと続く自然環境に恵まれた所である。
また校庭には、長年の風雪と苦難な時代の変遷に耐え、本校が世に輩出した幾多の同窓生や現在本校で学ぶ200余名の児童を温かく見守る「学者ガジュマル」が聳え、その雄姿は本校の歴史を物語り、校運の象徴としてその隆昌を世人に語りかけている。
校区は、呉我山、天底(首里原の一部を含む)、勢理客、渡喜仁、上運天、運天、湧川、古宇利の8字からなり、区民は、勤勉実直の美風に富み、子弟の教育に対する関心と熱意が高く学校に対する協力は絶大である。
(2) 学校規模(児童数・学級数・教職員数)
令和5年度4月現在
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